―在来知からみた考古学・民族学とアグロエコロジーの接点―
2024年1月8日(月) 10:00~17:00 御所野縄文博物館会議室
主催:住友財団環境課題研究助成プロジェクト「アグロエコロジーから見た持続可能な食料生産と景観保全―日本とアメリカの協働―」
共催:総合地球環境学研究所;人間文化研究機構広領域連携型基幹研究プロジェクト地球研ユニット「自然の恵みを活かし災いを避ける地域文化研究」カリフォルニア大学バークレー校日本研究センター;一戸町教育委員会、御所野縄文博物館
第1部オンライン参加申込先…御所野縄文博物館 E-mail:jomon@goshono-iseki.jp
英語でお申し込みの方はこちら https://berkeley.zoom.us/webinar/register/WN_voDtamjRQO6hHoZ2NQvZqg
tel.0195-32-2652 fax.0195-32-2992

シンポジウムの目的:人間は、その歴史を通じて、環境に対してさまざまな働きかけを行ってきました。最近の研究では、狩猟採集民も、その生業活動によって自分たちの周りの環境に大きな影響を与えていたことがわかっています。たとえば、カリフォルニアの狩猟採集民は、定期的に野焼きを行うことによって利用可能な植物の生育をうながすとともに、乾期の山火事を防いできました。先史時代から歴史時代の農耕民の多くも、いろいろな作物や資源を栽培・管理することによって、多様な農生態系を作り出してきたことが知られています。近年まで、日本各地で行われていた焼畑を伴う雑穀栽培や里山の手入れは、その好い例です。これらの研究が進むにつれて、多くの研究者が、狩猟採集と農耕という二分法は、人間と環境の多様な関わり方を考える際には不十分である、と考えるようになりました。
安定した食生活を考える上で、栽培の有無よりも重要なのは、たべものの多様性です。今回のシンポジウムでは、1)たべものの多様性、とくに木の実や草の根を含めたでんぷん質の主食の多様性が、災害に強い安定した生活を送る上でなぜ重要なのか、2)食や生業の多様性と生態系の多様性がどのような関係にあり、それが長期的持続性に貢献しているのか、について、考古学、民族学、農生態学(アグロエコロジー)の研究者が集まって、発表を行います。
第1部:北米の考古学者から見た環境管理と栽培の始まり(ズームウェビナー同時配信、日英逐語通訳有)
10:00-10:20 シンポジウム趣旨説明 (羽生淳子・カリフォルニア大学バークレー校)
10:20-11:10 ケント・ライトフット(カリフォルニア大学バークレー校;オンライン講演) カリフォルニアの先住民族はなぜ農耕をおこなわなかったのか
11:10-12:00 ゲイリー・クロフォード(トロント大学) 東アジア考古学から見た小穀物の生態と持続性の変遷
12:00-13:00 昼休み
第2部:生業の多様性と生物多様性(対面、日本語)
13:00-13:30 池谷和信(国立民族学博物館) 山村の生業複合と資源利用―九州山地の事例―
日本列島は約8割が山地でおおわれ古くから山に人が暮らしてきたことから、現在でも「山の文化」が継承されています。私は、これまでプロのゼンマイ採りやクマ狩りに弟子入りしたり焼畑の調査をするなど、多様な山のなりわいについて研究してきました。そこで今回は、九州山地の村に焦点を当てて、主として焼畑の変遷をとおして山の文化の過去・現在・未来について報告します。焼畑は、どのように展開してきたのか、現代社会での意義は何か、狩猟や採集や養蜂などとの関係はどうなのか、具体的なフィールドでの話をまじえて紹介することから、山での生き方の未来を考えてみたいと思います。
13:30-13:50 本林 隆(東京農工大学)・日鷹一雅(愛媛大学)・羽生淳子(UCバークレー校)「オニグルミの利用と景観管理 -長野県松本市四賀地区における1960年代と現在のオニグルミの分布の比較を通して-」
オニグルミの種子は旧石器時代、縄文時代から近現代に至るまで食料として利用され、それは1960年代まで、各地で継承されてきたと思われます。しかし、現在、その利用は限られた地域や家庭に限定されているようです。オニグルミは日本全土に分布していますが、特に多いのは中部日本から東北、北海道にかけての地域です。今回、我々は、オニグルミが多く分布する長野県松本市四賀地区に入り、1960年代と現在のオニグルミの分布状況を比較すること、また、現地で拾い集めたオニグルミの実の重さなどの調査結果を基に、1960年代に行われていたであろうオニグルミの利用や維持管理について考えてみたいと思います。
13:50-14:10 渡邊修(信州大学) 焼畑と野焼きからみた人間活動の生態系への影響
焼畑や野焼きは森林や草地を焼き払ってCO2を放出することから、自然破壊のイメージがありますが、集落から離れた場所や利用可能な自然が豊かな場所で、古くから行われている農法の一つです。水田や畑作を行うには条件が悪く、急傾斜で機械を入れにくい場所などで焼畑や野焼きが行われていますが、残っている地域はごくわずかです。火を入れても、住民等から苦情が出ないことも大事で、焼くことで雑木や雑草が取り除かれ、灰が肥料となって作物や牧草の生育がよくなります。ここでは、牧畜のために野焼きで草地が維持され、現在では省力的な植生管理法として野焼きが続いている長野県木曽町開田を紹介します。また、軍事政権によって入国困難となっている東南アジアのミャンマー北西部で行われている移動式焼畑の実態をヒアリリングした結果を紹介し、植生に火を入れる人間活動と生態系への影響について考えてみたいと思います。
14:10-14:25 休憩
14:25-14:45 真貝理香(総合地球環境学研究所) 岩手県宮古市旧川井村における雑穀栽培の復興と在来知
岩手県宮古市の旧・下閉伊郡は、山がちな地形で、灌漑水路の整備以前は、ヒエやオオムギ、大豆などの輪作を主として、様々な雑穀栽培が盛んでした。雑穀栽培の土地の選び方、種のまきかた、脱穀・精白などの各作業過程において、熟練や在来知が存在し、またそれは、短角牛の飼育とも連携した、循環的な農業形態でもありました。一時期、雑穀栽培は衰退しましたが、1990年代にIターンした雑穀栽培農家さんが、在来知を活かした地域の雑穀栽培をサポートし、農家さんのネットワークを作って流通・販路を整備したことで、雑穀栽培が復興した好事例があります。在来知がどのようにして継承されてたか、また復興にあたり、どのような過程や仕組みづくりがなされたかを紹介します。
14:45-15:05 伊藤由美子(青森県文化財保護課) 浄法寺における主食の多様性と漆掻き
ウルシは縄文時代から人が利用してきた植物で、人が管理することで質の良い樹液(漆)を採ることができるとされています。かつて、全国にウルシの木はあり、漆掻きが行われていましたが、現在ウルシの植栽や漆掻きによる樹液の採取は、浄法寺地区等限られた地域で行われています。何故、浄法寺地区で漆掻きが現在まで行われてきたのか?その疑問をもって、2015年から岩手県二戸市浄法寺地区で、漆掻き職人、農産物直売所運営者、漆塗り職人(塗師)から、それぞれお話を伺ってきました。 その内容は、米やソバなどの農業、牛飼い等の畜産業、漆掻きや漆塗りなどです。また、農業や畜産業を行うにあたり、祖父母、父母から伝わった知識や、地元の人々が守ってきた知識とそれを支える個人の工夫等についても、話を聞き、関連する文献を集めてきました。
浄法寺地区は、山地の割合が大きいという地理的環境、南部地方特有の夏場のヤマセによる冷害と、稲庭岳付近の日本海側気候による降雪等の気候環境により、一つの生業で生活することが難しい所です。このため、農業、林業、畜産業などが小規模で営まれ、且つ畑作を中心とした多様な農作物の栽培が行われてきたと考えられています。現金を獲得できる生業も自給的な生業も小さな規模であることで、時代ごとに状況に応じた生業を組み合わせられる柔軟性を持ち、明治維新以降、第2次世界大戦、高度経済成長、バブル崩壊等の影響に対して、回復できたことで、漆掻きを現代までつなげられたと考えられます。
15:05-15:25 日鷹一雅(愛媛大学) 農生態学から見た生物多様性のレジリエントな利用
私たちヒトに限らず、すべての生命には栄養素が必要です。とりわけ動物にとっては炭水化物は日々の活動の源です。このエネルギー源がなければ、食料の獲得もできなくなります。日本人の場合に、現在はコメと小麦等を炭水化物として日々食べていますが、1960年代以降、それらの生産は輸入に頼ってきてました。またコメは自給100%ですが、水田稲作ばかりの大量の資材を買って投入しない続かない農業は、五穀生産の田畑ではなくなり、周辺の山、海、川の資源も利用しなくなりました。同時に、豊かな食を支えていたいろいろな種類の生き物も消えていきました。半世紀前には普通にあった生き物たちがあふれた豊かな暮らしは、後世のためになくてはならないでしょうが、それをとりもどすための農の在り方について、生き物の暮らしを研究する生態学という見方から考えてみたいと思います。
15:25-15:40 休憩
第3部:パネルディスカッションおよび総合討論
15:40-16:20 パネルディスカッション:地域の在来知と環境教育・体験学習
16:20-16:50 総合討論
16:50-17:00 閉会のあいさつ (高田和徳・御所野縄文博物館長)